齊藤尊史の【空 見た子とか】

しがない迷優日記

稽古場公演『破戒』を経て

稽古中に迷っていたこと

わからなかったことが

本番を重ねていく中で…

毎日のnote(ダメ出し)の中で…

お客様と向き合う中で……

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たくさんのことを思い知らされました。

 

民衆芸術劇場(第一次民藝) 第一回公演

つまり『破戒』の初演f:id:noppoppo123:20220812105512j:image

1948年(74年前)1月2日〜26日 有楽座

ーー終戦後わずか2年半❗️ーー

猪子蓮太郎:滝沢修(当時42)

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瀬川丑松:宇野重吉(当時34)

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                     ……というキャスティング


猪子蓮太郎と丑松の緊密な関係が、十二支の…

「猪」

「子(ネ)」

「丑」

から示されてもいる…と😳!

(高橋広満「『破戒』私観」より)

 

滝沢修を師と仰いでいた宇野重吉

丑松の配役にどんなに喜んだろう…

とおもい馳せました。


しかも、それが劇団の旗揚げ公演❗️


そして、今回、本番を演じながら

丑松のセリフを宇野先生はどのように発声したのだろう?

どんな思いを込めたのだろう?……と。

 

…と、だんだんわかり始めてきて…

 

  突然! 演じながら

ドキッ‼️とする経験をしたのです。

 

滝沢先生は終戦

 治安維持法違反で監獄にいらっしゃった。


宇野先生は終戦

 ボルネオにいらっしゃった。


つまり


滝沢先生は、戦争反対して投獄され終戦を迎え


宇野先生は、召集令状を受けて出征、ボルネオへ

 

⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

……一兵卒としてボルネオまで連れていかれて、何を言っても無駄で、成るようにしか成らんものと、すっかりあきらめ癖がついていたから、負けようが勝とうが、そんな事は大して気にしていなかった……(中略)……大体、この戦争で勝つなどとは、出発する時から思ってもいなかった……


……ボルネオに着いたのは、終戦の日の4ヶ月ほど前になる。しかし僕らは何も知らなかった。生きてさえいればどうにかなると思っていたから、生命だけは大切にした。将校たちがコソコソ「ポツダム宣言」がどうだとか話し合っているのを小耳にはさんでも、何のことやらわからなかったし、気にもかけなかった。部隊本部勤めの兵隊の口から、どうも負けたらしいということが伝わり、その噂が広まる頃、中隊長が全員を集めて演説をぶった。やはり戦争は終わったのである。みんなポカンとして聞いていた。中隊長の手前、日本軍人である手前、戦争に負けて喜んでは具合が悪いからであろうが、戦争が終わったと言う事実が、一向にピンとこないのであった。この戦争は終わったが、明日からまた別の戦争にうけつがれていくような気もした。戦争ばかり続いた時に、20代から30代に移った僕らにしてみれば、戦争が終わったなどと言う事はとても信用できない気持ちであった。中隊長の言葉は、どんなに悲壮に語られても、僕らにはいつもの命令と同じように、虚ろにしか響かなかった。「はいそうですか」と、黙って聞いていればいいようなものであった……

……それは、兵隊が「天皇恐怖症」にかかっていたからであるが……

   『宇野重吉=新劇•愉し哀し』からの抜粋⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

 

どういうことか


滝沢先生にはできたこと(絶対戦争反対!を訴えること)が

宇野先生はできなかったという

……懺 悔……があったのでは?…と。

 


「……皆さん、許してください。今まで黙っていたことを、どうか許してください。……」

『破戒』台本 丑松のセリフより

 

 

いやしかし、もっと踏み込んで考えてみると、

もしやすると台本を脚色した村山知義さんが

滝沢先生に(もしくは、お客様、世の中の方々に⁉︎)

【懺 悔】しているかのようにも読めるのです。


なぜなら…

 

⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

「村山(知義)が渡鮮して総督府側の文化工作に従うという新聞記事を読んだのは、終戦の年の春だったが、年末帰国した彼に、私は新劇を再建するための協力を申し出、その際、彼が戦時中の行動を大衆の前に自己批判することを求め、それを怠ればやがて君は大衆の信頼を失うだろうと忠告した。村山は私の言葉を退け、こうして新協劇団は、戦前に近い形で復元することなく終わった」

(久保栄選集Ⅵ「古典と現代劇」あとがき)より⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

 

…こうした経緯のあと…

 

⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

……久保、滝沢、村山らで戦後新劇再建の話し合いがあったが、トムさん(村山知義)が久保(栄)さんから戦争協力の自己批判を求められ、それがゴチャゴチャして会談は決裂、修ちゃん(滝沢修)ともそこで別れ別れになってしまっていたのだ。トムさんが、今さら滝沢なんかと一緒にやれるかいと思ったとしても、また、こっちからやろうといったって修ちゃんが断るだろうと疑ったとしても、まぁ無理はなかったといえるだろう。私なんかは大雑把な方だから、そんなこともういいじゃないかと思うが、トムさんにはそういう誇り(?)高いところと、器の小さいところがあるのだ。……

    『宇野重吉=新劇•愉し哀し』より⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

 

丑松が最後の授業ですと言って

生徒たちの前で語るあの 懺 悔 は


そんな宇野先生演じる丑松を通して

滝沢先生(や久保栄さん)へ対する

そして、世の中に対する

村山知義さんの懺悔】とも読めるのです。

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未熟者の戯言かも知れませんが

そう思ったら

 

自然と涙が溢れてくるのです。。。


なぜあんな戦争をしてしまったのか


なぜ食い止めることができなかったのか


どうして、本当は思っていたことを


発言できなかったのか。。。と。


演じる私( 尊史)自身にも

似たような 懺 悔 は思い当たるのです


「…たとえ間違っているのは自分ではない。世の中が間違っているのであっても、隠していることは負けていることですね。どうか皆さん、よく覚えていてください。恥のない人間にならなければいけない。心持ちが自由でなければいけない。世の中の間違いに負けていてはいけないということを。」

『破戒』台本 丑松のセリフより

 

自然と涙が溢れてくるのです。。。

 

そう思うと

仕事(舞台)を通して

当時の演劇人たちがさらに奥深いところで

会話をしていたのではないか…


…また…


当時の観客•評論家は

それを味わえていたのではないか…


…そう思い馳せられるのです。

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ご来場くださった皆さま

あたたかいご声援をくださった皆さま

ご心配をおかけしてしまった皆さま

スタッフ・関係者の皆々さま

そして、演出の岡本健一さんッ!

        心より感謝申し上げます❗️

 

    最後まで読んでいただき

   ありがとうございました🥹❗️

2022年8月