齊藤尊史の【空 見た子とか】

しがない迷優日記

うずうずしている若者よ 宇野重吉

 青年って、今どこにいるんだい。

「あなた、幸福ですか」なんて聞かれて、「はい、今のところ」なんて答えてる。そんな“幸福”あしたになりゃ どうなるか わからねえのに。そんなの青年じゃないよ。ただの若僧だね。

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 ボクらの時代には、目の前に大きな壁が立ちはだかっていた。抵抗しても とてもかなうものじゃなかった。けれども街のあちこちには青年がいた。徴兵を拒否したり、反戦運動をやったりして、ある場合には命がけだった。けれども彼らは青竹のように しなやかで、ピチピチしていて、グングン伸びてゆくように たくましかった。自分もまわりも、ハラハラ•ドキドキさせて、輝いていた。

 理想をもっていたんだね。生きる目的を。目的がある人生って楽しい。

 苦痛にも価値がある。

 ボクはね、もともとプロレタリア運動をやるつもりで芝居を始めたんで、芝居をやろうと思って入ったんじゃないんだ。だから、一年ちょっぴりやって「いや、こりゃだめだぁ。才能のかけらもない。芝居の輪の中に生きる人間じゃあない」、そう思い込みましてね。その時、自殺しそうなほど しょげかえっていた。築地から有楽町かいわいまで、きったない絣の着物を着て、ゲタを履いて しょんぼり歩いていた。たまたま、袂にはちょうど木戸銭くらいの金があったので、そのへんの小屋に入って活動写真を見た。

 ところがこれをみて出てきた時、まったくボクの気持ちは一変していた。本当に生きていてよかった、オレの人生はこれからだ。ようし やるぞ、ていうふうにまったく体じゅうが充実していった。『スミス氏都へ行く』でしたよ、

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フランク•キャプラ監督の。ジェイムス•スチュアートがーーそのあとでボクがボクの大先生だと思うようになった人だがーー出ていた。

 ストーリーじゃなくて、映画というものが、俳優の仕事というものが これほど すばらしいものかいな、と思った。ボクがつくっている芝居が、見に来た人に それだけの感銘、感動ね、ある場合には、その人の人生さえ一変させるぐらいのものでありたい、そう思わせた。あのときほど 生きる喜びというものを味わったことはない。生きる尊さ、こう生きねばならん、てね。

 それがボクの人生のターニングポイント(転機)だった。かぞえで二十歳だったかなあ。

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 何をめざすのか。それがボケると、生きる本筋とは関係のないことばかりに目うつりしてきて……。

 だけどそうじゃない青年もいる。なにか やらかそうとして、やりたくてうずうずしていて、だれかに助言を求めているような若者が。めったに芝居なんか見る機会がないような へんぴなところでね。そういうボクたちを待ちこがれていてくれるような人たちのところへ、これから一座をひきいて、出向いていこうと思っているんだ。

 余生何年かあるかわからないけど、そんな準備をしていたら、なんかこう、やるぞーっていう思いが ますますわいてきて。でも もはや少しくたびれた。気負いすぎだね、こりゃ。ハハハハハ。

 それにしても、世の中、ほんものの平和じゃなくちゃ、いけないよ。(談)

「続・黙っていられない 一九八六年の秋に」より

 


 ……私は、(劇団民藝創立者のおひとりである)宇野重吉先生と直接出会ったことがない。先生が亡くなられたあとに入団したからだ。

 宇野先生のこの想いは、この記事を始めて読んだ30年前も令和になった今も、ちっとも古びない。。。自分はどうか。。。おのれはどうだ。。。自問自答を繰り返す毎日……。

 今朝のNHKの番組「インタビュー ここから」で、山田洋次監督から宇野先生の話が出て、驚きと感動。

 改めてここに刻ませていただきました。

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